2023-07-23

川柳や短歌を詠んでみよう!

PV
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ある日、素晴らしい短歌を見ました。

そこで、私も川柳や短歌を詠んでみたいという気持ちに駆られたので私なりに詠んでみました。

冬のある日想い、世界の中心から私になった。

冬の雲
トースターに咲く
スパゲティの歌
フラフープの中心
虹が回るよ

冬の大空をふと眺めていた際に、澄んだ空気の先に四角い雲がありました。その形状はまるでトースターを思わせ、トースターからスパゲティが溢れ出ているような感覚に囚われました。
スパゲティの形状から歌が聴こえてきたので、私は目を閉じ、耳を澄ましてみました。その時私の心のフラフープの本当の意味における中心で虹が回り始めました。ハッとして目を開けると冬の雲には虹がかかり、フラフープが私のいる地球を意味していることに気づきました。
世界の中心が私とトースターに咲くスパゲティになったような気がして嬉しくなり、このような歌を詠んだのです。

宇宙の果てにあるものとは?

星の雨
ピクルスの夢を
サンドイッチが食べる

赤子が泣く様子は目を閉じると浮かびますが、目を開けるとそこには何もなく何も感じません。それどころか五感のすべてがシャットダウンされたような感覚に陥ります。そんな自分がまるでハンバーガーに無理やり入れらたピクルスのように感じました。ピクルスは目を閉じると星が見えるのですが、その星が赤子の泣く様子だったと気がついたとき、サンドイッチに挿入されたピクルスがハンバーガーに無理やり入れられたピクルスのドッペルゲンガー的配置になり、押入れに閉じ込められた赤子としての自分というものに気づいてしまったのです。押入れに差し込む部屋の光、それが星の雨として赤子の涙とダブルミーニングになっていたのです。

猫派?兎派?

青い猫
数学の授業で
ジャズを踊る

大道芸人が困った顔でバルーンアートを作っていました。
赤色のバルーンで何かを作っているようですが、とても困った顔をしています。どうしたのですか?体調が優れないのですか?と聞くために一歩、もう一歩と歩き出したところ、困り顔の大道芸人が配達があると言って逃げ出してしまいました。そのときもずっと困り顔ではありましたが、どこか気が楽になったかのような顔にも見えました。
困り顔の大道芸人が置いていった青色のバルーンアートは猫の形になっていて、実際に数学の問題を解く過程を思わせました。

ビール工場と聞こえづらい音声

時計の針が回り続ける
それはシロップのように甘く
空を走る象のように遅い

時間の流れは、その一瞬一瞬が重なって人生という大海原を形成します。
しかし、その海原を横断する行為自体がいかに緩慢であり、我々がそれを認識する上でどれだけの甘美さを必要とするか、それを象徴するために選ばれたのが「空を走る象」です。象が空を走るという、この荒唐無稽なイメージこそが、時の流れという抽象的な概念を私たちに理解させる手段であり、その流れがシロップのように甘く、象のように遅いという表現に繋がるのです。

珈琲宇宙旅行の第一人者になれたよ

紙飛行機
コーヒーの香りで
宇宙を旅する
砂粒が踊り給うて
無音の終わりが始まったよ

これは私の一種の実験です。
紙飛行機という、手軽に作れる身近なオブジェクトに、コーヒーの香り、それも日常の象徴的な要素を結びつけ、それらをもって宇宙を旅するという、現実からはほど遠い幻想的なイメージを連想させることに成功したのです。
紙飛行機は自由に飛び立つもの、コーヒーの香りは目覚めや一日の始まりを象徴し、そして宇宙は無限の可能性や冒険の舞台を示します。これらが合わさることで、日常の中に潜む非日常への扉が開かれ、そこから生まれる新たな視点が詠み手に提示されるのです。
私は一瞬にして平行世界、パラレルワールドに行ってしまったような感覚に陥りました。
宇宙という広いステージで水得た魚のように砂粒が私の前で踊り、その時始めて無音の宇宙が終わりを告げ、全ての事象が始まる瞬間を見ることが出来ました。
文章の上に浮かぶ世界と私達が生きる世界の乖離が見られるのです。私の心に創り上げた世界は今でも第四の世界として生き続けています。

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ちゃおず本物

今日は歌を詠んでみましたが、楽しいですね。 皆さんもぜひお試しください。 この記事を詠んだ方はSNSのシェア、ブックマークを絶対にしてください。このような知的労働にも関わらず無給で働かされています。