2024-09-28
【3日間編】静寂の詩、創造の律動 - マインドフルネス・リトリート
木々のざわめきと小鳥のさえずりに包まれた山荘で、はっぴふる倶楽部は新たな冒険を始めた。3日間にわたる「マインドフルネス・リトリート」。それは、日常から離れ、自己の内なる宇宙と向き合う旅路となった。
初日の朝、参加者たちの表情には期待と不安が交錯していた。都会の喧騒から遠ざかり、ここでは時間の流れさえも違って感じられる。ヘンリー・デイヴィッド・ソローの言葉が胸に響く。「森の奥深くへと分け入るたび、私は新たな自分と出会う」。まさに私たちもまた、自己の未知なる領域への探検に乗り出したのだ。
リトリート最初のセッションは、「呼吸の詩学」と名付けられた瞑想だった。参加者たちは目を閉じ、ゆっくりと呼吸に意識を向ける。息を吸う。息を吐く。その単純な行為の中に、宇宙の摂理が宿っているかのようだ。
禅の教えに「平常心是道」という言葉がある。日常のありのままの心こそが悟りへの道だという意味だ。しかし、その「平常心」に気づくことがいかに難しいことか。私たちの心は常に過去の後悔や未来への不安に囚われ、現在という唯一の実在から目を背けがちだ。
瞑想が深まるにつれ、参加者たちの表情が徐々に和らいでいく。まるで、内なる嵐が静まっていくかのよう。フランスの哲学者ガストン・バシュラールは「瞬間の中に永遠がある」と語った。この静寂の中で、私たちは時間を超越した永遠の一瞬を体験していたのかもしれない。
午後のセッションでは、「感覚の万華鏡」と題したワークを行った。目隠しをした状態で、様々な自然物に触れ、香りを嗅ぎ、音を聴く。視覚を遮断することで、普段は気づかない感覚の機微が鮮明に浮かび上がる。
ある参加者は、樹皮の質感に宇宙の神秘を感じ取り、またある者は、風の音の中に遠い記憶のメロディーを聴いた。まさに詩人ウィリアム・ブレイクの言葉通り、「一粒の砂の中に世界を見、一輪の野の花に天国を見る」体験。日常の中にある驚異に気づくこと、それこそがマインドフルネスの真髄なのだ。
2日目の朝は、「動く瞑想」から始まった。ゆっくりとした歩行瞑想を行いながら、参加者たちは山道を進む。一歩一歩に意識を向け、足の裏が地面に触れる感覚、空気が肌をなでる感触、鳥のさえずり、木々のざわめき、すべてを鮮明に感じ取っていく。
この体験は、私たちに「今、ここ」に存在することの意味を問いかける。哲学者マルティン・ハイデガーは「現存在(Dasein)」という概念を提唱した。それは単に「存在する」のではなく、自らの存在に意識的であること。この歩行瞑想を通じて、参加者たちは自らの「現存在」を鮮明に感じ取っていったのだ。
午後のセッションでは、「沈黙の創造」というワークを行った。2時間の完全な沈黙の中で、参加者たちは自由に創作活動を行う。絵を描く者、詩を書く者、粘土で造形する者。言葉を交わさぬまま、それぞれが内なる声に耳を傾けながら創造の世界に没頭していく。
この静寂の中で生まれた作品たちは、驚くほど力強く、深遠な表現に満ちていた。まるで、沈黙という肥沃な大地から、創造性という花が一斉に咲き誇ったかのよう。ここで思い出されるのは、作曲家ジョン・ケージの名高い作品「4分33秒」。完全な沈黙の中にこそ、無限の音楽が宿るという彼の洞察が、今ここで見事に体現されたのだ。
最終日、参加者たちの表情は驚くほど穏やかで、目には静かな輝きが宿っていた。最後のセッション「内なる宇宙への旅」では、ガイデッド・イメージリーを用いた瞑想を行った。目を閉じ、想像の中で自らの内なる風景を探索していく。
この旅で、ある者は幼少期の忘れかけていた記憶と再会し、またある者は未来の自分との対話を体験した。心理学者カール・ユングの言葉が思い起こされる。「自己を知ることは、宇宙を知ること」。まさに、参加者一人一人が自らの内なる宇宙の広大さと深遠さを垣間見たのだ。
リトリートの締めくくりは、全員での分かち合いの時間。言葉を失うほどの体験を、どう言語化すればよいのか。しかし、語り始めると、言葉は泉のように湧き出した。そこには驚き、感動、そして新たな気づきが満ちていた。
3日間のマインドフルネス・リトリートは、こうして幕を閉じた。しかし、これは終わりではなく、新たな始まり。参加者一人一人の中で、静寂と創造の種が芽吹き始めたのだ。
はっぴふる倶楽部が目指すのは、まさにこの瞬間。日常の喧騒から離れ、自己の内なる詩に耳を傾けること。そして、その体験を創造という形で表現すること。今回のリトリートは、その道筋を照らす小さな、しかし確かな灯火となった。
マインドフルネスと創造性。一見、相反するように思えるこの二つの要素が、実は深く結びついていることを、私たちは身をもって体験した。静寂の中にこそ、最も豊かな創造の泉が湧いている。その泉を見出し、そこから汲み上げる勇気を持つこと。それが、真の創造者としての第一歩なのだ。
さあ、あなたも内なる静寂に耳を傾け、そこから湧き上がる創造の波に身を任せてみませんか?きっと、あなたの中にも、まだ見ぬ詩人が眠っているはずだから。